学校図書館は近年の変容に対処できているか

司書教諭講習受講者の状況から見た状況

関口 礼子
渡邊 優子

1 変化する学校図書館

 長年の懸案であった学校図書館法の改正が1998年に行われ、2003年から12学級以上の学校にはすべて司書教諭をおかなければならないことになって以来、その有資格者を補うために、各所で司書教諭講習が盛んである。司書教諭講習は同時に「情報化等の社会の変化に対応した改善充実を図る」(塩見, 2000, p. 95)ことも視野に入れられている。時期を同じくして、図書館に読書センターとしての機能に加えて「学習情報センター」としての機能を付加し、学校図書館を「図書」館から情報センターにするという方針も打ち出されている(情報化・・・会議, 1998, 第U章3)。「学習情報センター」とは、情報や知識の媒体を「図書」に限定せず、他の媒体も視野に入れるということである。

 本稿では、そのような学校図書館の変貌をにらんで、まず第1に、司書教諭講習に出てきている者たちがどの程度その変化を認識して講習会に臨んでいるか、第2に、学校が、新しい学習媒体の中心であるインターネットとそのハード面であるコンピュータの設置およびそのネットワーク接続に、どの程度対応できているか、第3に、受講者がそうした意識改革や新しく司書教諭としての学習に従事するために、ふさわしい環境におかれているのかを見ることを目的とする。

 それらの実態を知るために、直感的に印象を語るまたは語ってもらうのではなく、実証的に行い、また、データを極力数量的に提示することを心がける。しかし、この種の問題設定に通常よく行われるような、そのための質問紙調査は行わない。質問紙調査は、調査票が配られたということで、あらためて被調査者にその件についてを意識に登らせ、たてまえの答えを返させがちであり、もっとも自然な情報を提供しなくなる。また、質問紙に記入してもらうのは、それだけ時間を提供してもらうことでもある。コンピュータの普及以来、集計がいとも簡単に行えるようになったため、やたらにアンケート調査が増加し、安易なアンケート調査がはびこって、市民に迷惑をかけている。それらの理由で、あらためて、この目的のために質問紙調査を行うのではなく、既存の活用できるデータを利用、それを本稿の目的のために再整理して用いることにする。

 ここで用いる主たるデータは、1999年7月、8月に図書館情報大学で行われた、文部省司書教諭講習のうち、「図書館メディアの構成」で受講前に課された課題の提出状況である。この課題は、「勤務校の図書館には、どのような種類の資料があるか、それを利用するためにどのような器具があるか」、「学校全体では、どのような資料があるか、それを利用するどのような器具があるか」を「E-メールで送信しなさい」というものであった。ちなみに、現職者でないものは、出身校をもって代行する、Eメール環境を持たないものは、事前に調べておいて、講習に来てから送信してもよい、ということになっていた。データとして分析を行うのは、その提出メールの内容とログである。

 以下で分析にかけられたE-メールの数は、64である。受講者は68人であったが、途中でどうしたわけかメールの紛失した4人は、分析にかけられていない。また、1人で数回のE-メールを送ってきた受講者もいるが、複数回分から総合して判断しもっとも重要のもののみを採用し、1人1ケースとして扱っている。

2 図書館資料への理解

2.1 図書館資料の範囲

 「図書」館が「情報」センターになったとき、資料は従来の「図書」館の「図書」や図書形態をもつ定期刊行物の枠を超えてさまざまな情報保存の媒体に広がる可能性をもっている(関口, 1999, pp. 54-62, 161-173)。もっとも従来から、少しずつ、レコード、カセットをはじめとして、資料の範囲は広がる傾向にはあった。「図書」館というような用語でなく「ライブラリー」などという語が用いられたりもしていた。もっとも、ライブラリーとて、語源的に、「図書」を基盤とする用語であるが、日本では、「図書」という語が与える強烈な図書イメージを和らげる意味で、カタカナ語が使用されたのであろう。

 本稿では、「図書館」という語を用いる。法的な用語は、依然として「学校図書館」であるからである。しかし、内容的には、「図書」のみに限定せず、もろもろの学習資料を扱う「学習情報センター」の意味である。「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」では、学校図書館について「学校教育に欠くことのできない役割を果たしているとの認識に立って、図書資料の充実のほか、さまざまなソフトウェアや情報機器の整備を進め、高度情報通信社会における学習情報センターとしての機能の充実を図っていく必要がある」(中央教育審議会, 1996)を受けている。

 最初に本章で、司書教諭候補者は、図書館にたいしてどのようなイメージをもっているかを資料面から探ってみることにする。前にも述べた通り、ここで用いている資料は、このトピックを明らかにするために集められたものではない。既存の利用できるデータを利用しようとするものである。本章の目的ともっとも合致するのは、受講者への課題である、勤務校とその図書館の「資料」の所蔵状況、資料を使用するための「器具」の所蔵状況についての設問への回答である。これは存在を訊ねているので資料観を直接に示すものではない。もともと存在しなければ、数え上げられないからである。その点の制約があるが、しかし、なにをピックアップしているかで、どの範囲を図書館の資料とみなしているかが推測されうる。

 なお、ここで整理にかけられたのは、送付されたファイルが最後まで開けなかった1人分を除く、63人分の回答である。

2.2 司書教諭候補者の資料観

 ここで扱う、どのような資料が勤務校の図書館に所蔵されているか、学校全体では、どのような資料が存在しているかという設問にたいする回答は、単に自由に列あしてもらったものなので、分類もまちまちである。また、資料でない、器具類等も混じっている。どのような用語を用いているかも受講者の状況や意識をみる上で参考になるので、まず、あげられた通りの言葉で、列挙しておく。図表2-1の数字は、その資料名をあげた人の数である。

図表2-1 勤務校の所有する資料

勤務校の所有する資料 勤務校の図書館
の所有する資料
   
勤務校の所有する資料 勤務校の図書館
の所有する資料

図書 47 図書 57 CD 24 CD 12
書物 1 書物 1 CDプレーヤー 4 CDプレーヤー 1
蔵書 1 レコード 2 レコード 1
書籍 1 書籍 1 LD 12 LD 5
雑誌 37 雑誌 43 LP 1
新聞 15 新聞 15 LDプレーヤー 1
参考図書 2 参考図書 1 MD 2
辞典 2 辞典 3 OHP 3
辞書 1 OHPソフト 7
教材資料 1 OHPシート 2
ドリル 1 トラペンシート 1
学習プリント 1 スライド 9 スライド 1
図版 5 図版 2 スライド写真 4
地図 4 地図 2 テレビ 4 テレビ 1
絵図 1 ラジオ 1
掛図 2 TP 1
楽譜 1 楽譜 1 VDT 1 VDT 1
文集 1 文集 1 CT 1 CT 1
児童文集 2 児童文集 1 コンピュータ 3 コンピュータ 3
標本 1 パソコン 2 パソコン 1
写真 3 Win98PC 1
パネル 1 DosPC 1
紙芝居 6 紙芝居 9 FD 2
広報 1 広報 1 MO 1
パンフレット 2 パンフレット 3 各種ソフト 1
カタログ 2 カタログ 1 CD-ROM 40 CD-ROM 11
マイクロ資料 3 パソコン用学習ソフト 1
マイクロフィルム 2 DVD 2
カセット 41 カセット 14 インターネット 8 インターネット 1
ビデオ 49 ビデオ 19 プリンター 1
ビデオデッキ 4 ビデオデッキ 1 デジタルカメラ 1
8ミリビデオ 2 8ミリビデオ 1 スキャナ 1
16ミリビデオ 2 メディアプロジェクター 1
映画フィルム 1 CAI 1

 さすが、「図書館」という語が定着しているだけあって、「図書」という語を用いている人が多いが、しかし、同じ図書を表現するにしても、「書物」「蔵書」「書籍」などという語も混じっている。また、「定期刊行物」、「バーティカルファイル」などの図書館学で用いるような専門用語を用いていない。ということは、受講者たちは、図書館の専門的教育を受けた人々ではない、ということがわかる。

 さて、図書館の扱う範囲について、どう考えているかをここから読み取ることを試みてみよう。図書館にある、としてあげているものは、図書館で扱ってもよいと考えていると判断できよう。また、学校内にあるとしてあげているものも、あげているからには、図書館で扱い得る資料であると考えていると推測してよかろう。ある人びとは、かなり幅広く「資料」を考えていると見てよかろう。

 図表2-1は、記載されていた通りの用語を用いて、ランダムに掲載したものであるが、多少整理して、頻度の高いもののみをあげてみよう。勤務校の所有する資料、図書館の所有する資料、両方を合わせて、10件以上になるもののみを図表2-2に拾い上げておく。その際、同種のものは、ひとつにまとめた。

図表2-2 勤務校の所有する資料

勤務校の所有する資料    
勤務校の図書館の所有する資料

図書 50 図書 59
雑誌 37 雑誌 43
新聞 15 新聞 15
カセット 41 カセット 14
ビデオ 49 ビデオ 19
CD 24 CD 12
LD 12 LD 5
スライド 13 スライド 1
CD-ROM 40 CD-ROM 11
紙芝居 6 紙芝居 9

 かなり多くの者が資料と考えているのは、図表2-2のようなものである。「図書」類は合わせても、63人中の59人にすぎないので、あまりに当たり前のものは省略した人がいたのかもしれない。いずれにせよ、このようなものは、図書館の資料として受け入れると考えているといってよかろう。印刷資料はもとより、絵画資料、音声資料、動画資料が含まれている。かなり多くの人が、資料を図書に限定せずに、かなり幅広く考えていることがわかる。

 しかし、ここにあげられたものは、すべて、パッケージ系の資料である。一つの単体として、持ち運びできるものである。パッケージ系の資料は、現在をあげた人数が少なく、あまり注意は払われていなくとも、必要があれば図書館資料として容易に受け入れられるであろう。

 しかし、それに対し、非パッケージ系のもの、すなわち、情報を保存する媒体が単体の形をなしていないものは、あまり図書館の資料として注目が払われていない。たとえば、ラジオ番組、テレビ番組、インターネットなどである。内容そのものは校外にあり、校内で保管するのは、それを利用するために器具であるといる種類のものである。

 しかし、図表2-1でみたように、テレビ、ラジオ、パソコン、インターネットがあげられている。「資料」を列挙せよ、という設問にたいし、それ自体は資料ではないので、これらの器具をあげるのは見当違いである。それにもかかわらず、これらの器具をあげたということは、そうした器具を使う資料も視野にいれている、と考えてよいであろう。

 このうち、ラジオ、テレビという資料は、いつでも利用者の必要に応じて好きな内容を引き出すということは困難な資料である。しかし、インターネット資料の場合、常時、必要に応じて、必要な情報を引き出せる。充分教材として使用しうる資料になりうる。図書館は資料を「保存」する場所であるということに重点をおけば、これらの資料は重要ではなくなるが、図書館は資料を「利用」する場所であるという認識にたてば、これらの通信系資料、特に必要に応じて情報を引き出せるインターネットは、図書館にとって大いに重要な資料になる。

 こうした図書館観の変化を受け入れている状況は、まだ少数者ではあるが、垣間見られる。次ぎのような記述は、受講者の間の理解の状況を垣間みせてくれる。これは、受講後に自由意志で送られてきたメールの1節である。

 先生のお話はとても楽しく、未来の図書館に希望を持ちました。ただ、みなさんの図書館資料の分類の仕方を見てみると、「情報を扱いなれていない」という感が否めませんでした。自分にとっては、活字も映像も別次元のものではなく、同じような素材でしかなく、再生装置が必要とか、不要とかも、自分にとっては、餅をつくのに餅つき機械、または杵と臼は必要だという程度の認識しかなく、なぜ、そんなに騒ぐのかが理解できませんでした。水を飲むときコップが必要、その程度の感覚なのですが…。インターネット冷蔵庫の出現する時代ですもの。

 この記述からも、図書館資料の認識の仕方については、現在、図書館担当者になろうとしている教員の間にも相当に開きがあることが分かる。

2.3 資料の保管 中央管理か各所管理か

 次に資料の保存場所について眺めてみよう。図表2-2に見るように、「図書館」の方が「学校全体」よりも多いものは、図書、雑誌、紙芝居である。図書館以外の場所に保管してあることが多いのは、カセット、ビデオ、CD、LD、スライド、CD-ROMである。教材や資料の中央管理体制になっていないことを示している。これらのもの、特に視聴覚資料は、図書館以外のところにあり、図書館関係者以外の人によって現在管理されているということがわかる。

 どこに管理されているのかは、尋ねていないので不明である。しかし、各教科であろうか。その理由は何であろうか。特定の資料は、特定の教員しか用いない、教員がいつも手元におかないと、いざ必要であるというときに利用しにくい、図書館担当者がそれらの資料を扱うのを自分たちの職務だと考えていない、等々いろいろ考えられよう。新しいタイプの資料が多いが、それらの資料を保存する方法が確立していないことも考えられよう。

 もしそれらの資料が、特定の教員によって常時用いられているというのでないならば、それは、図書館によってカタログ化され、管理され、利用者に供された方が利用は多くなるであろう。教員が手元におかないと必要なときに不自由である、というならば、図書館資料の管理の問題である。学校図書館が学校の中心的存在になるためには、資料の中央管理化が必要である。しかし、特定の教員の特定の目的のために購入された資料は、その教員が必要とするときに、その教員が確実に利用できる状況でなければ役目を果たさない。そこからも、図書館の資料管理体制について考える必要が出てくる。資料が図書館に委ねられない理由を点検してみる必要があるであろう。

3 資料を利用するための器具の管理

 資料を利用するためには器具が必要なものがある。そうした器具の所有・管理状況をみてみよう。いくつかの器具はすでに「資料」の項目であげられてきている。図表3-1は、それとは別に、図書館の器具・設備、学内にある器具・設備として尋ねたものである。

図表3-1 器具の所蔵状況

勤務校の所有する器具 勤務校の図書館
の所有する器具
   
勤務校の所有する器具 勤務校の図書館
の所有する器具

カセットデッキ 35 カセットデッキ 6 スライド投影機 3
ビデオデッキ 37 ビデオデッキ 9 コンピュータ 24 コンピュータ 9
ビデオプロジェクター 3 ビデオプロジェクター 1 パソコン 19 パソコン 10
CDプレーヤー 25 CDプレーヤー 7 プリンター 4 プリンター 3
LDプレーヤー 11 LDプレーヤー 3 カメラ 1
レコードプレーヤー 1 レコードプレーヤー 1 デジタルカメラ 2
コンバチブルプレーヤー 1 フォトビクス 1
DVDプレーヤー 1 ビジュアルプレゼンター 1
DVDプロジェクター 1 クローズドキャプションディコーダー 1
ラジオ 1 VTR 5
アンプ 1 フィルムライブラリー 1
スピーカー 1 マイクロフィルム用器具 2
OHP 17 OHP 1 AV機材 1
プロジェクター 9 プロジェクター 1 紙芝居の箱 1
テレビ 10 テレビ 1 複写機 6 複写機 2
モニターテレビ 1 拡大コピー 1
大型テレビ 1 電話ファックス 1
大型ディズプレイ 1 大型ディズプレイ 1 校内放送設備 1
スクリーン 3 デッキ 1 デッキ 1
映写機 6 図書閲覧用机 1 図書閲覧用机 1
実物投影機 2 椅子 1 椅子 1

 これを先ほどと同じように、双方合わせて10件以上になるもののみをさらに整理して、再掲してみたのが、次の図表3-2である。

図表3-2 勤務校およびその図書館で所有する器具

勤務校で所有する器具 回答数    
勤務校の図書館
の所有する器具
回答数

コンピュータ 43 コンピュータ 19
ビデオデッキ 37 ビデオデッキ 9
LDプレーヤー 11 LDプレーヤー 3
プロジェクター 12 プロジェクター 2
カセットデッキ 35 カセットデッキ 6
CDプレーヤー 25 CDプレーヤー 7
OHP器具 17 OHP器具 1
テレビ 11 テレビ 1

 ここにあげてあるものを司書教諭候補者たちは図書館関連器具と考えているとすると、彼らは、先にあげたさまざまな形態の資料を利用するための器具を図書館に備えてもよいと考えているとみることができよう。通信系メディアを使用するためのコンピュータも相当数の人によってあげられている。

 しかし、実際にそれらはどこに存在しているかということになると、ほとんどは、図書館ではない。コンピュータは若干図書館にもあるが、ビデオデッキ、LDプレーヤー、プロジェクター、カセットデッキ、CDプレーヤー、OHP器具、テレビは、図書館ではなく、他の場所に保管されている。おそらくは、図書館関係のスタッフの手によってでなくて、他の教員によって、管理されているのであろう。ここに、学校管理者や他の教員がそれらの教具をどう考えているか、図書館をどう考えているかが推測できる。

 これらの器具をあげているところを見ると、司書教諭候補者たちは、器具を管理するのを拒んでいるのではないようである。とするならば、新しいタイプの資料を見る、聞く、読むための教具はどうして図書館に来ないのであろうか。この状況から見て、図書館担当者が、学校が資料を利用するための器具を購入するときの推進者ではなかったことが読み取れる。ここからも、学校のなかで図書館の占める位置と図書館担当者の占める地位が、垣間みられるような気がする。また、図書館は、授業に関連して使われる場所になっていない、ということも見受けられる。

 資料・教材は、教師と並んで、教育のための中心をなすものである。その資料を保管し、利用に供する場所であるはずの図書館は、教員とともに学校の中心であるはずである。しかしながら、今までみてきたように、そうした新しい教材が図書館のなかに位置づいていない状況におかれているのは、学校全体の図書館にたいする認識と、図書館担当者にたいする認識、そして図書館担当者自身の認識によるところにほかならないであろう。

 学校図書館は「学校の情報化の中枢的機能を担っていく必要がある」(全国学校図書館協議会, 1999, p. 207)。そのためには、「司書教諭みずからが、インターネットなどの情報機器に関する幅広い見識をもつことが必要であり、同時に学校図書館の活用を通じて、子どもにコンピュータなどの情報機器を含む多様な情報媒体から必要な情報を選択的に入手できる能力を身に付けさせる指導力が求められている」(渡辺, 1999, p.141)。図書館も授業の場である必要がある。

 司書教諭候補者のうち、かなりの者は、こうしたさまざまな資料の種類とそれを利用するための器具を列挙してきている。あとは、「図書」のみを視野にいれて図書館を運営するのではなくて、図書館担当者として、どれだけ幅広い視野で、図書館を考え、積極的に資料のみならず、資料をよりよく用いるための器具の管理をかって出られるかという担当者の力量と積極性にかかっているといえよう。そのためには、いろいろな意味での実力が求められる。

4 情報関連技能と情報環境

4.1 コンピュータ関連技能の必要性とE-メール環境

 司書教諭が学校の中心的地位を占めるには、図書館運営のためのいろいろの技能や知識が必要である。司書教諭は特定の科目の教員という視野で考えて図書館を運営してはならない。特定の科目のみでなく、学校全体の教育を見て図書館の運営を考えなければならない。その意味で広い視野が必要である。特定の科目の教員であることは差し支えないが、その科目のみを見るのではなく、全体的な視野が必要である。広い視野、教育全体の目標、自分の担当する科目のみでなく、学校教育の扱う全科目についての知識、そして、特に、資料および、資料の使用方法についての知識が必要である。現在、アナログ資料中心であったところから、デジタル資料の使用が可能になり、その重要性の比重は増してきている時代である。資料の性格が急速に変わってきている。現在求められているのは、電子化された資料の使い方に関する知識と技能である。

 「学校図書館が学校の<学習情報センター>としての役割を果たし、各教員のインターネット活用を支援するためには、全ての学校図書館にコンピュータを設置し、インターネットに接続できるようにすることが必要である」(全国学校図書館協議会, 1999, p. 204)。学校図書館へのコンピュータの積極的導入、インターネットの積極的接続が求められている学習情報センターとしての学校図書館を設置するためには、「コンピュータを含むメディアの専門家としての司書教諭の役割」(赤堀, 1998, p. 17)が求められてくる。

 本章では、デジタル資料の利用に関して、司書教諭候補者がどの程度の技術と知識をもっているかを見てみよう。1998年3月末の文部省調査によると,公立学校教員のうち「コンピュータ等を操作できる」教員の割合は,小学校で42.0%,中学校で51.8%,高等学校で62.2%,特殊教育諸学校で37.3%,全体の平均では49.0%となっている。「コンピュータ等を用いて指導できる」教員となると、小学校で21.7%,中学校で23.2%,高等学校で24.4%,特殊教育諸学校で13.7%,全体の平均では22.3%(文部省, 1998, 第2章3(4)指導体制の充実について)にすぎない。少ない資料から、この講習に出席した司書教諭候補者たちが、どの程度のコンピュータ利用の知識と環境をもっていたかを探ってみたい。

 資料として用いているのは、どのように課題を提出したかである。先述のほうに、課題はE-メールで提出するように課してあった。これからの図書館利用教育には、コンピュータの使用は不可欠であるし、また、司書教諭もその技術をマスターしていなければならない。しかし、これまでの教員養成の経過からみると、それは望めない状況であることはわかっている。課題をE-メールで提出する指示したのは、司書教諭候補者たちがどの程度情報技術を使用しているかを見たかったのと、今回そのような指示をしておけば、今まで用いていなかった者も、この機会に触れてみることを余儀なくされるであろうと考えたからである。

 まず、講習出席者は全員E-メールで課題を提出すること、もしE-メールを送れる環境になければ、講習に来てから大学の設備を使ってE-メール送信することを課したので、最終的には、100% E-メール送信されている。しかし、その提出状況はまちまちであり、提出に至るまでに相当の苦労があったことが忍ばれる。

 司書教諭候補者の情報環境の状況を見るための手がかりとして、どこからE-メールが発信されたかを、最初に見ることにする。用いるのは、発信元のアドレスである。

 発信元のアドレスのドメイン名を、
1)個人用の商用アドレスを用いている者
2)学校のドメインを用いている者
3)講習会用のアドレスを用いている者
の3グループに分けて整理してみた。その結果は、図表4-1の通りである。

図表4-1 使用されたメールアドレス

アドレスの所在 実数 %

個人用のアドレス 33 51.6
  本人 12 18.8
  家族 7 10.9
  友人・知人 9 14.1
  判別できないもの 5 7.8
学校のアドレス 22 34.4
講習会用のアドレス 9 14.1
全   体 64 100.0

 勤務校を利用している者は、約3分の1にすぎないことがわかった。半数は、個人用のアドレスを用いている。残りの者は、E-メールを用いられる環境になかったとみえ、講習会に来てから発信している。課題は、何度も述べているように、勤務する学校の図書館や学校全体についてごく簡単な調査をし、報告するものであったから、その学校がインターネットに接続されており、その教員がE-メールを容易に使える環境にあり、その教員がE-メールを使用する技能をもっていれば、わざわざ家まで持ち帰らず、その場で送信するのがもっとも自然である。しかし、学校のアドレスを用いているのは約3分1にすぎなかった。これは、司書教諭候補者のおかれている環境を物語る。すなわち、残りの人々は、勤務校内にE-メールを使用できる状況にないか、あるいは、あっても、使用する技能を持たないかである。すなわち、これからの司書教諭にとって、もっとも必要であろう情報技術のもっとも初歩的なE-メールを使用できる環境にない、ということになる。

 ここで、個人用アドレスを用いた人の分析をもう少々しておこう。添えられた文面等から、個人の商用のアドレスを用いた者は、必ずしも自分用のアドレスとは限らず、課題を提出するために友人や知人に頼んでアドレスを借り、教えてもらいながら出した者、友人や知人に頼んで代行してもらった者等も含まれていることがわかったからである。

 個人のアドレスの中を、@マークより前の部分から、1)本人個人のもの、2)家族のものと思われるもの、3)添えられた文面等から友人のものと推測されるもの、4)判断のつきかねるもの、に分けてみた。「判断がつきかねる」とした者のなかには、自分の名前とは関係ないものを@の前に用いている人も混じっている。結果は、1)本人個人のもの12名、2)家族のものと思われるもの7名、3)添えられた文面等から友人のものと推測されるもの9名、4)判断のつきかねるもの5名となる。

 大まかに、勤務校のアドレスの者、個人用のアドレスの者、家族のアドレスの者はE-メールを使える環境にある、講習会用のアドレスを用いた者、友人・知人に頼んだ者は、E-メール環境にないと考えると、自分の周囲にE-メール環境がある者は64%、E-メール環境がない者はおよそ28.2%ということになる。不明者を除外すると、E-メール環境にある者はおよそ3分の2、ない者はおよそ3分の1、これが、1999年夏の、少なくとも図書館情報大学で講習を受けた、司書教諭候補者のE-メール環境の状況であった。

4.2 学校のコンピュータ設置状況

 次に、これらの講習受講者の勤務する学校の物理的なコンピュータとネットワーク環境をみてみよう。まず、コンピュータの有無についてであるが、学校からE-メールで課題を送ってきている者は、コンピュータも存在し、インターネット環境もあると考えてよい。しかし、それ以外にも、インターネット接続が考えられるケースがある。

 したがって、ここでコンピュータ設置校として計上したのは、
1) E-メールを学校のドメインから発信している者の学校
2) 所有している器具の回答のなかに、「コンピュータ」や「パソコン」という語が見られる学校、
3) 所有している資料のなかに、たとえば、「CR-ROM」というように、コンピュータがなければ使用できないようなものをあげた学校
である。

 政府は、1999年までにすべての公立学校にコンピュータを設置する計画で、それも前倒しで、進めてきた。1998年時点の文部省の調査によれば(文部省, 1999)、校種別コンピュータ設置率は、小学校97.7%、中学校99.9%、高等学校100%、特殊教育諸学校98.9%である。私たちの調査では、コンピュータの設置状況は小学校91.6%、中学校92.3%、高等学校100%、特殊教育諸学校100.0%であるから、サンプル数が少ないことを考えると、差があるとは言い難い。今回のサンプルも、ほぼ全国的な傾向を反映しているといってよかろう。

図表4-2 学校のコンピュータ所有状況と、インターネット接続状況

コンピュータ所有校(%) コンピュータ未所有校 インターネット接続校(%) インターネット未接続校 学校数計

小学校 11 (91.6) 1 3 (25.0) 9 13
中学校 24 (92.3) 2 13 (50.0) 13 26
高等学校 11 (100.0) 0 6 (54.5) 5 11
特殊教育学校 1 (100.0) 0 1 (100.0) 0 1
大学 6 (85.7) 1 4 (57.1) 3 7
不明 6 (85.7) 1 1 (14.2) 6 7

59 (92.1) 5 28 (43.7) 36 64

4.3 インターネット接続状況

 次に、インターネットへの接続状況を見てみる。インターネット接続校として集計したのは、
1)学校のドメインから課題を発信している者の学校
2)勤務校の図書館や学校にある資料として、「インターネット」、「係によるオンライン代行サービス」等、インターネット接続を前提とした表現のある学校
である。政府のインターネット接続の進行計画から、インターネット接続は、学校種によってかなりの差があることが予測されたので、学校種別にその状況を示した。

 政府の計画では、2001年までにすべての中学校、高等学校、特殊教育諸学校を、2003年までにすべての小学校をインターネットに接続する計画である(情報化の・・・会議, 1998, 3. 学校の情報通信ネットワークの整備)。1998年時点の文部省の調査によれば(文部省, 1999)、インターネット接続率は、小学校27.6%、中学校42.8%、高等学校63.7%、特殊教育諸学校36.3%である。わたしたちの調査では、小学校25.0%、中学校50.0%、高等学校54.5%、特殊教育諸学校100.0%であるので、参加者のごく少ない特殊教育諸学校を除くと、類似した結果になっている。ここに使用しているデータは、全国的な状況と似通った状況である、すなわち、このデータから述べることは、かなりの程度に普遍化してよいということが推測されるのである。

 司書教諭候補者の先に述べたような図書館資料観や、また、その他の図書館観は、このような情報環境の中から生まれてきているといってよい。現在、学校のコンピュータ設置とインターネットの接続は、文部科学省の後押しや一般的社会政策の後押しによって、急激に変化している。学校の情報環境が変われば、資料観、学習情報センター観、図書館観もかわるであろう。しかし、一般的には、技術的な変化は速く進行するが、精神的変化はゆっくりと進行することが知られている。司書教諭が、新しく導入された新しい資料観に適応し、資料や資料入手の手段であるコンピュータやインターネットを自分が使えるのみならず、それを教育に生かし、旧来の資料観にとらわれず、新しい資料観と、それを元にした新しい図書館運営観や教育観を創出し、実践して行くには、あるいは、学校全体が新しい教材観と、図書館観をもち、図書館を教育のなかで利用するようになるためには、もうすこし時間がかかるかもしれない。

 そうした技術の発展と、時代の要請に応じた、新しい環境に適応し、新しい図書館観を生み出すのは、司書教諭自身であり、そのためには、司書教諭自身の学習が必要である。図書館を担う人物たちの、学習環境について、次の章で眺めてみよう。

5 教員の環境的条件

5.1 講習受講者の属性

 今まで、講習を受けに来た人々の属性を明らかにすることなく述べてきた。ここで、講習受講者は、どのような人々であったかを、見てみることにする。

 所属する学校種については、先に図表4-2で示した。述べた。しかし、受講者名簿で再確認すると、小学校勤務者11名、中学校勤務者32名、高等学校勤務者11名、養護学校勤務者1名、大学生5名、不明8名である。この講習の受講者の約半数は、中学校教員であった。

 公立・私立の別では、小学校、中学校、高等学校、特殊教育学校では、全員が公立学校であった。また、同じ学校から2名出席しているところはなく、1つの学校から、1名のみの参加である。

 また、これらの者たちは、1名を除いて、すべて茨城県内の学校からであった。

 ということは、教員が自発的に講習を受けに来ているのではなく、1998年の図書館法の改正、すなわち、12学級以上の学校には必ず司書教諭をおかなければならないことになって、司書教諭有資格者がいない学校が、受講者を送り込んできたということが推測される。このことは、受け付けをした事務官からの言葉からも確認される。開催校に問い合わせがあったのは、受講者本人からではなく、教頭クラスの教員からが多数であった、ということであった。

 次に、性別であるが、それは、次の通りである。講習受講者は、名簿に寄れば、女性54名、男性14名である。その比は、女性79.4%、男性20.5%であり、女性の受講者が8割、男性2割である。女性が圧倒的に多いことがわかる。上司に言われて、女性が派遣されてきている、という状況が見てとれるのである。

 また、先に、これらの受講者が資料を列挙したときに、2.1で示したように、「図書」という語を除いて、図書館専門用語を用いていないということは、図書館の専門的教育を受けていない人たちであるということが推測できた。校内に、図書館に関する専門的教育を受けた人がまったく存在しなかったために、上司が、誰かを抜擢して送り込んできた、抜擢された教員は、女性が大多数であった、ということになる。

 筆者は、司書教諭は管理職への登用門にあるべきであると考えている。自分の教員免許状をもつ教科のみでなく、学校全体のカリキュラムをにらんで、仕事をしなければならないからである。そうしたことを考えた上で、このように多数の女性教員が選択されたのならば、女性管理職者が少ないことを考えると、幸いである。しかし、一方では、不適格教員は、図書館にまわせばよい、指導能力に問題のある教員は、図書館の事務職に配置転換をすればよい、といった言葉が、不用意に教育行政関係者の口から漏れ聞かれるような状況で、もしもそのような認識のもとに選抜し送り込んできている学校があるとしたならば、管理職者の図書館観・司書教諭観は由々しき状況であるといわねばならない。そうでないことを願っている。

5.2 司書教諭講習受講にたいするバックアップ

 司書教諭講習受講者のおかれた状況に少しでも近づいてみよう。用いられる資料は、課題の発信が、どのような時間帯に発信されているかである。これは、どのような時間帯を職務に関係ある研修に当てられているかのみでなく、どのような場所から発信しているかという職場の環境も推測ながら読むことができる。

 なお、これは、司書教諭候補者自身の状況を見るための分析であるので、友人や知人に頼んで発信してもらった者 15名は、集計から除外してある。

 E-mai1の発信時間を、1時間ごとに整理したグラフが、図表5-2である。

図表5-2 時間別発信数

 E-メール発信の時間帯を大きく、1: 0時代〜7時代、2: 8時代〜15時代、3: 6時代〜19時代、4: 20時代〜23時代に区分して見ることにする。0時代〜7時代を深夜・早朝、8時代〜15時代を勤務時間、16時代〜19時代を勤務時間の延長時間、20時代〜23時代を夜と考えてみよう。

 発信は、勤務時間、勤務時間の延長時間、夜、が多いことがわかる。

 さすがに深夜・早朝は少ないが、それでも皆無ではないことに注目したい。講習の課題をするのに、深夜や早朝を使わなければならない人がいるということである。発信するまでに、課題を入力するために、幾ばくかの時間を費やしているはずであるから、深夜になってしまったとも考えられる。あるいは、インターネットが混雑していて接続できずに、夜中になってしまった、ということも考えられる。しかし、教員が講習を受ける時、時間の捻出に苦労している人がいることが伺える。

 勤務時間、勤務時間の延長の時間には、発信者が多くなる。19時代、20時代に発信者がばったり途絶えるのは特徴的である。ちょうど夕食の支度と夕食に忙しい時間であるからであろう。受講者は、家族役割の担い手であるらしいことが伺われる。それが過ぎて、21時代になると、再び人数が増える。勤務時間が自分の職務の勉強に使えない場合は、この時間が使用されることになるのであろう。

 課題は、何度も述べたように、勤務する学校の図書館や学校全体についてごく簡単な調査をし、報告するものであった。それにもかかわらず、家に帰って個人アドレスから発信しなければならないE-メール環境の人がかなりいるということは、前にも指摘した。

 発信時間の状況を、個人か、学校かに分けて示してみよう。図表5-2のグラフで17時代に発信している人が多かったが、これは、講習会場から、発信している人が、11人中9人いたからである。1日の講習が終わってから、クラスメートの援助を得て、実習室に行って発信した人々である。これらの人々もグラフから除外してある。

図表5-3 時間別発信数 勤務先から
図表5-4 時間別発信数 個人アドレスから

 勤務先から発信している人は、勤務時間とその延長の時間に集中している。講習は、7-8月の夏季休業中に開かれていることも付記しておこう。授業はなくても、教員にとって、勤務時間である。勤務先の設備と、勤務時間が自分の学習のために使えた人は、幸運である。学校のバックアップがあったとみてよいであろう。ただし、このグラフは、土、日もともに集計しているので、時間帯は、勤務時間外の人が混じっているかもしれない。個人のアドレスを用いた人は、発信時間は特定の時間帯に集中していない。バラバラに散在している。

5.3 送信したファイルの状況

 最後に、送信されたファイルの状況を見てみよう。

 もっとも素直なのは、E-メールの本文に直接書いて、発信する方法であろう。送信しなければならない文書の量はごくわずかの筈であったからである。実際、この方法で送ってきている人は、48名と4分の3にのぼった。しかし、添付ファイルの形で送って来た人もいた。

 添付されたファイルは、一太郎ファイル7名、MSWordのファイル4名、Excelのファイル2名、.datという拡張子を持ったファイル2名、テキストファイル1名であった。多分、ふだん使い慣れている様式を使ったのであろう。通常、文章を書くのに、教員の間では「一太郎」がかなりの程度に使われていることがわかる。また、Excelを用いた人は、かなりのコンピュータの知識を持っていると推測されよう。

 しかしながら、受信者の状況を確かめずに、特殊なファイルを使うのは、やはりコンピュータを使うことに十分慣れていないことがわかる。事実、一つのファイルは、いろいろの工夫にもかかわらず、最後まで開けなかった。4名は、「送った」にもかかわらず、ファイルが紛失している。

 E-メール本文に直接書いて送った人は、その意味で、使い慣れて状況をよく知っている人か、または、逆にファイル添付の方法などを知らない、初心者であるか、その両極のどちらかのである。判断が付きかねる。こうしたファイルの状況から、司書教諭講習受講者たちは、日本語文書を作る際に、一太郎、MSWordなどを使っているらしいこと、しかし、まだコンピュータを日常的に使いこなしている人ばかりでもないことがわかる。

 実は、この課題は、これからの図書館は、「図書」のみを扱えばよいのではないこと、また、図書館業務をこなすには、コンピュータとネットワークの知識や技術をもたなければならないということを理解してもらうための伏線として出したものであった。このような事前の状況と、次のような、自由意思によって寄せられた感想からも、この意図は功を奏したと言ってよかろう。

 とても便利で、楽しいものだと思いました。これからも、もっともっと活用していきたいと思います。

 普段なかなかゆっくり考えられなかった図書館の運営について、楽しく学ばせていただきました。実際の学校図書館では管理上の問題が大きく、学習センターとしての機能追求まではなかなか手が届かない現状がありますが、学ぶことをやめてはいけませんよね。

6 学習と学習環境の整備の必要性

 最後に、今まで、明らかになったことを要約しておこう。

 図書館の扱う資料については、司書教諭候補者たちは、図書のみでなく、かなり幅広く講習前から考えていた。しかしそれは、人によってばらつきがひじょうに大きく、ひじょうに狭い範囲しか視野に入っていなかった人と、新しい資料を視野に入れていた人の違いが大きく見られた。資料とそれを使うための器具類は、校内に結構たくさん購入されている。がしかし、中央管理がなされておらず、校内各所にバラバラに保管されていて、利用効率が悪いようである。図書館担当者はそれらの資料や器具を視野にいれているが、しかし、これらの比較的新しいタイプの器具類は図書館の管理になっておらず、そうした状況は、学校内での図書館の位置付けと図書館に対する期待を象徴している。学校内での「図書館」観はいまだに「図書」館であり、教材センターや学習センター、学習情報センターへの移行は行われていないようである。

 このような状況を変えて行くには、司書教諭となる人自身の学習と、新しい発信能力が必要である。これは、他の教職員に対する発信能力も含まれる。がしかし、学習にたいする職場の環境は必ずしも相応しいものとは言いがたいようで、校内で自分自身の学習に、夏季休業中といえども勤務時間を使うことは出来ない人もおり、深夜・早朝を学習に当てたりしなければならない状況の人もいる。また、校内から講習の課題のメールを発信できるような環境にあるものも3分の1程度しかないようである。

 新しい資料を駆使する能力についても、受講者の間でばらつきが大きく、だから講習を受ける必要があるのであるが、図書館と図書館資料に関する変化が大きいとき、図書館担当者自身も学習が必要である。また、他の教員や管理者に対しても、図書館の新しいあり方に関する情報の提供が必要である。そのためにオンラインで入手できる情報・資料はきわめて有効な手段である。がそれを図書館担当候補者に提供している学校は多くない。

 これらは、学校の管理者、教育委員会、他の教員の学校図書館に対する期待と密接な関係にあることことが考えられる。図書館の迎えつつある変化にたいして、こうした人々の理解はあまり対応できていないのではないかと思われる。学校図書館と司書教諭とは、学校教育上あまり期待されてはおらず、学校のなかで孤立して、図書館担当者は孤軍奮闘である様子も伺える。教員たちは、図書館担当になるのを嫌い、クラス担任に戻ることを希望するということもしばしば聞かれる。それは、図書館が、正規の授業とは無縁な状況で運営されているからであろう。すなわち、図書館が、学習情報センターの機能をまだ果たしていないからである。

 しかし、学校が、教員を講習に送り込み、司書教諭になろうとしている人たちが新しいことを学習しているのは幸いである。学校図書館の劇的な変貌が見込まれる今、講習を受けた教員が職場に戻って、校内の他の教員といっしょになって、新しい授業の方法、新しい設備の配置方法を考えていってほしい。

引用文献




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