本書は、一時期一世を風靡し、猖獗を極めた「人工知能」についての批判的考察であり、それが基づく「普遍的言語」という仮構物・イデオロギーに対する批判の書である。 人工知能とはコンピュータというテクノロジーを利用することで人間の認知・思考のメカニズムを探ると同時に、それを再現する試みだと考えてよいだろう。だが、普遍的な思考の法則・秩序を探求するという試みじたいは決して新しいものではない。ライプニッツの「普遍記号学」、フレーゲ・ラッセルによる「述語論理学」、チョムスキーの「生成文法」はどれもアプローチの仕方は異なってはいても、人工知能の試みと共通の目的と志向を有するといってよい。そして、そのどれもが「普遍的な言語」の存在を確信し、それを探求の前提としている。
本書では、人工知能が思想的に普遍的言語の存在を“セントラルドグマ”とする諸理説の直系であることを様々な角度から説き、その上で普遍的言語の想定が幻想に過ぎないものであることを喝破する。
言語とは決して一義的な意味を持つ静的で形式的な記号体系ではなく、その根底には多義性と文脈のゆらぎのなかでダイナミックに生成する〈意味=イメージ〉が潜んでいる。 本書は、この〈意味=イメージ〉の源が生命、あるいは環境に埋め込まれた生物の身体であることを最終的に導き出していることで西垣「生命情報論」へのイントロダクションの役割を果たすものとして位置づけることができる。特に、第1章「普遍言語機械への欲望」と第9章「人工知能からサーボーグへ」は、「言語」の存在論的な身分を反省し、言語中心的な世界観を相対化するためにも熟読・玩味することが望ましい。