◎地霊そしてレジス・ドブレ
十年近く前、北フランスのランスという街でしばらく暮らしていたことがある。パリは日本人が多すぎるし、古い街でひっそり一人暮らしをしたかったのである。
だが計算が甘かった。北フランスの陰鬱な気候、アパートの貧弱な暖房のせいで、持病の腰痛が再発。かくて「のんびりフランスの田舎町で静養」どころか、暗く低い空のもと、重いミネラル・ウォーターのパックを手に、フランス人の不親切を呪いつつ、堅くつめたい石畳の上をうろつく羽目となった。
やがて、ひしひしと体感されてきたのは「恐怖」である。腰痛が悪化して入院するのでは、といった具体的な恐怖ではない。もっと普遍的で抽象的な恐怖なのだ。この街に巣くう地霊のかもしだす血なまぐさい形象の仕わざだろうか。
ランスには有名な大聖堂がある。そびえ立つゴシックの大伽藍は壮麗そのもの。だがそこには崇高さとともに、どこか陰気な権力と受苦のにおいがした。宗教的な同胞愛の情熱と、それを無慈悲に踏みつぶしていく強大な暴力との間の相克といった……。
ランス大聖堂は第一次大戦のとき、ドイツ軍によって攻撃され、炎上した。再建されても傷跡は消えない。大聖堂前の広場のベンチにぐったり座っていると、占領軍の磨かれた砲身や光る鉄兜が今しも街角を曲がり、こちらを殺しにやって来るようで、僕はふと身震いしたものだ。
帰国すると、あの地で感じたリアルな恐怖はたちまち消えてしまった。この国ではヨーロッパと違って、国境から敵兵が押し寄せてくることはない。僕たちには、銃口に対する想像力が決定的に欠けている。
九九年、コソボで紛争が激化し、知識人のあいだで論争が起きたとき、僕が真っ先に思い出したのは、この恐怖のことだった。セルビア軍によるアルバニア系住民の「民族浄化」とは、要するに銃口による虐殺と強姦だ。いったい、米国を中心とするNATO軍のセルビア(ユーゴ)空爆は是か非か……。
空爆は、暴力という意味では確かに悪い。とくにコソボ紛争は内戦である。だがヨーロッパ知識人の多くが空爆を支持したのは、敵兵が一般人に向ける銃口の恐怖を知りぬいているからだろう。それは、あのぞっとする地霊がもたらすものだ。
さて、そんな中でただ一人、猛然と空爆に反対したフランス知識人がいた。レジス・ドブレである。空爆は内政干渉であり、米国のグローバル戦略の一環だという。ドブレは孤立し、袋叩きにされ、もはやカリスマの地位を失ったと酷評された。しかし、その後の米国のすることを眺めていると、ドブレの議論もそれなりに説得力をもって感じられてこないだろうか……。
断っておくが、僕は米国を好きだし、ドブレの政治的立場を全面支持しているのではない。コソボ空爆もやむを得ない面があったと思っている。にもかかわらず、ドブレの魅力は、孤立しても自らの信条をつらぬき、最強の敵と正面対決するというカッコよさ(つまり要領の悪さ)にあるのだ。
ドブレの名が轟いたのは、六〇年代後半のことである。パリの裕福な家に生まれエコール・ノルマルで哲学を学んだ秀才は、単身ラテンアメリカに渡り、ゲバラとともに民族解放軍に参加する。六七年に著した『革命の中の革命』は当時ゲリラ戦の理論的教科書として左翼革命家の聖典となった。同年、ボリビアで逮捕され、拷問の末、銃殺されそうになる。このとき、「ドブレを救え」という国際世論が沸き上がったのだ。
まず、こういう経歴からして、ハンパではない。当時はマルキシズムが大流行で、六八年にはカルチエ・ラタンや神田で学生達が大声で革命を叫んでいたが、大半は「仲間と一緒にワッショイ、ワッショイ」という感じだった。彼らはそれほど要領が悪いわけではなく、以後順調に出世していった者も多い。あのなかの何人がいったい、ボリビアの密林でゲリラとともにホンモノの革命をしようと考えただろうか。
◎メディオロジー
国際世論に助けられ、ドブレは何とかフランスに戻った。その後、ラテン・アメリカの人脈をいかして、ミッテラン大統領の外交顧問をしていたこともあったらしい。もっとも、すぐにケンカ別れしたようだが……。
まぁ、そんなことはどうでもいい。僕はマルキシズムとは無縁だし、もともと政治嫌いなのである。そんな僕とドブレとの接点は、「メディオロジー」という新しいメディア論のせいだった。
ドブレは九〇年代に入ってからメディオロジーという学問を提唱し、矢継ぎ早に著書を刊行している。そして、わが情報学においてメディオロジーは、ホフマイヤーの生命記号論、マトゥラーナとヴァレラのオートポイエシス理論、ルーマンの理論社会学などとともに、重要な柱となっているのだ。
メディオロジーとはいったい何か? ――幸い嶋崎正樹さんという優秀な翻訳者によって、『メディオロジー宣言』『メディオロジー入門』『一般メディオロジー講義』『イメージの生と死』という四冊の邦訳書が、いずれもNTT出版から刊行されている。それも買いたくないという向きは、せめて書店の店先で解説くらい立ち読みしていただきたい(実は僕が書いたのだけれど)。
一口でいうと、メディオロジーとは一種の思想史である。ただ、思想の「内容」というより、むしろそれらが人々にいかにして「伝達」されたのか、という面に注目するのである。キリスト教にせよ、マルキシズムにせよ、どんな思想も技術的媒体と社会的組織によって伝達される。たとえば、キリスト教はラテン文字と教会組織により、マルキシズムは印刷文書と共産党によって広まった。
二千年前、小アジアには多くの原始宗教があったらしい。その中でキリスト教がなぜ世界宗教となったかについては、これまでその「内容」から分析するのが普通だった。たとえば「虐げられた民衆を救う思想だったから」という具合である。だがメディオロジーでは、信仰の中心が神殿ではなく持ち運べる冊子に書かれた聖文字だったことや、軍隊さながらに序列化された聖職者組織の仕組みから、キリスト教の「伝達作用」を解明していこうとするわけだ。キリスト教の成功は、その内容というよりむしろ、伝達能力の卓越性ゆえとされるのである。
こういうアプローチは、信仰心の厚い人々には不快なものに違いない。だが一方、そこからマルキシズムの凋落に対する弁明も生まれることになる。
マルキシズムはアジビラなどの印刷文書によって伝達しようとした。だが、資本主義はテレビという電子映像によってその思想を伝える。東欧の崩壊は、ロック音楽やファッションなど、西欧からあふれでる「イメージの奔流」のためだった。だからメディオロジーによれば、マルキシズムの敗北は「印刷文字が映像に負けた」と説明されることになる。言いかえれば、マルキシズムの内容ではなく伝え方が悪かったのだという理屈になる。
つまり、ドブレはきちんと自分の過去を理論づけたのである。これは明快だ。ちなみに僕の世代には、かつて先鋭なマルキシストだったくせに、いつのまにかスルリと敏腕な資本主義者に変身し、いま産学協同推進やらベンチャー・ビジネス振興やらに走り回っている連中が少なくない。彼らの頭の中の仕組みを僕は理解不能なのである。
◎技術決定論と言うなかれ
ドブレは攻撃されやすい人物だ。メディオロジーもいろいろ批判されている。たとえば、ゲーデルの不完全定理の引用法が誤っているという理系学者による批判もある。この指摘は正当。だが率直にいって、つまらぬイチャモンという気がする。ゲーデルの引用無しでもメディオロジーの議論は成り立つ。文系学者はレトリックを補強するつもりか、よくこういう間違いをおかすが、まぁご愛嬌ではないか。比喩にもとづく哲学的テクストは、純粋数学とは別の次元にあるのだ。
一方、文系学者からよく聞かれる批判として、「メディオロジーは技術決定論だ」というものがある。こちらは相当タチが悪い。
ドブレは歴史を言語圏、文字圏、映像圏の三つに分類する。それぞれ、手書き文字技術、印刷技術、オーディオビジュアル技術に対応するわけだ(言語圏の前は記憶圏とよばれる)。こういう分類は確かに「まずメディア技術ありき」という印象を与える。メディオロジーは技術のみならず社会組織にも注目し、技術と組織の両面から伝達作用を分析するので決して単純な技術決定論ではないが、社会のダイナミックスを定める要因としてメディア技術を重視している点では、技術決定論と言えるかもしれない。
だが「メディオロジーは技術決定論だ」という非難は、文系学者の理系コンプレックスに由来するからタチが悪いのだ。技術決定論という言葉は、非国民とかアカとか保守反動などと同じで、相手を頭ごなしに一刀両断する。「ものごとは技術だけじゃ決まらねぇんだよ。社会はもっと複雑なんだからさ、オレたち文系学者の言うことをきけよ」――そんなホンネが響いてくる。
新しい技術が出現しても、それだけで社会が変わらないのは当然だ。言わずもがな、である。だがもし技術が無かったら、世界はどんな風だろうか。生物種としてのヒトの遺伝的能力は、十数万年から変化してないから、たぶんわれわれは太古と変わらない狩猟採集生活を送っているだろう。
何と言おうと、社会変化の最大要因は技術なのだ。農耕牧畜技術なしに古代社会はなく、工業技術なしに近代社会はない。一流の文系学者は皆このことに気づいている(たとえばニクラス・ルーマン著『自己言及性について』を読むと、そこには技術決定論が堂々と開陳されている)。
技術とは「力」である。そしてメディオロジーとは何より権力論なのだ。
メディアによって情報が伝わるとはどういうことか。ITは自由な市民のあいだの対話が促進すると電脳ユートピアンは信じ込んでいるが、決してそれだけではない。むしろ二一世紀には、多様なメディアを介した強力な支配が、地球規模で巧みに進められていくのではないだろうか。
ごく粗っぽくいえば、メディオロジーの狙いとは、オーディオビジュアル技術によって世界をイメージ的に支配しようとしている米国主導の資本の猛威に対し、根底から抵抗しようとすることなのである。もちろん、メディオロジーは学問であるから、政治的な議論が繰り広げられているわけではない。だが、その狙いを見抜けず、枝葉末節をあげつらって溜飲をさげる凡百のメディオロジー批判は、ことごとく的外れなのである。
考えてみると、近頃とくにこの国では、型どおりの政治的非難はあっても骨太の理論的批判はめっきり減った。おおかたの知識人は、ポストモダン風の記号のたわむれや、マネーゲームの理論化や、近視眼の先端技術開発などに没頭している。
かくて、大学は企業の下請け研究機関となり、会社は平気で従業員のクビを切るタコ部屋と化し、家庭は競争に疲れた子供たちがひっそり手首にナイフをあてる地獄となっていく。しかもそれは日本だけでなく、世界的な傾向なのだ。
だから情報学は、メディオロジーからドブレの肉声を聴き取ろうとするのである。