久しぶりに懐かしいキャンパスに飛んできた。新築ビルがふえて風情は昔より薄れたが、それでも大きな銀杏の木々や素早く行水できる池は昔通り。吾輩のような旅ガラスにはありがたい。
……感慨にふけっていると何やら気配を感じた。ふと見ると、周囲を居着きガラスどもがぐるっと取り囲んでいる。ここはお前たちの占有空間ではあるまいと思ったが、何分、多勢に無勢だ。そこで「お控えなすって、お初にお目見えいたしやす。あっしは木枯らし桃次郎ってケチな旅ガラスで。生まれは上州三日月村……」と仁義を切り始める。
ところが、正面に居た長老らしきカラスが割って入った。なぜ長老かというと、カラスのくせに白髪頭だからだ。こやつはサギか?腹は黒いか?
「旅ガラスじゃなくてホームレス・ガラスって言いねえ。そんな古代妄想だから私情狂騒の当今、リストラされるのよ。何でえ、その爪楊枝は」と、吾輩が嘴にくわえている楊子を軽蔑したように眺める。
「これですかい?――こりゃあ、ただの癖ってもんで」
「きゃっ素敵、マジッ――それって想い出時代劇じゃん」
背後で金切り声がしたので振り返ると、頭を金色に染めた若いギャルガラスが呵々大笑している。舌先は蛇にピアス。現在もっとも凶悪獰猛なのはこの種のカラスだと噂に聞いていたので、吾輩はサッと長ドスいや長嘴を構えた。だが、よく見ると結構かわいいではないか。
「ああら、桃次郎さん、私のアパルトマンにどうぞ。歓迎するわヨ」
ギャルカラスに見とれていると、尾羽根が軽くつつかれ、ジャン・パトゥの名香がプンと匂った。
「あたしはマリアカラス、よろしく。こちらは亭主の掏摸(すり)ガラス、それと坊やのスピングラスよ」
漆黒の瞳に見つめられ、吾輩はおもわずクラッとなった。脇にはしょぼくれたオジンガラスと利発そうな子ガラス。
「ふん、スピングラスね……お前さんが素っぴんガラスになったら見ものだぜ」と拙劣なる親爺ギャグを一発かましてから、長老は「なあ、桃次郎さん、聞いてくれ。ここも不景気でね」と話し始めた。
長老によると、すべては暴虐な人間のせいなのである。田んぼのタニシもドジョウも、農薬で全滅してしまった。空きっ腹をかかえて都会に出て来ると、人間は初め、歓迎してくれた。護美袋にいっぱいご馳走をつめて道路に並べておいてくれたのである。おかげでこの辺のカラスの数は激増した。われらは人間を見直してやり、共存共栄のユートピアができると喜んだのである。ところがどうだ、今や人間どもは一転して、われらを攻撃し始めた。護美袋を網で覆って開けられないようにし、巣を打ち壊して卵をつぶす。いったいどうすればいいのか……。
「ねえ、ボクお腹すいたよ。昨日から何も食べてないんだ」と坊やが悲しそうな声をだす。「あんたの腕が悪いからよ」と亭主をなじってから、マリアはやさしく
「希望を捨てちゃだめ。勉強して人間をうんと騙すベンチャービジネスやるんでしょ」と坊やの頭を嘴でなでる。
「これも縁だ、桃次郎さん、何とか力貸してくんねえか」
長老は深く白髪頭をさげた。
「すまねえが、あっしにゃ関わりござんせん」――吾輩が急いで飛び立とうと身構えた、その時だった。
「あーる晴れた日、遠い空の彼方に、煙が立ち、護美がやがて見える」
すばらしいマリアカラスの絶唱……さすがの吾輩も思わず聞き惚れた。憂き世に、希望は切なく美しい。
そうだ、焼却場の近くには、開けやすい護美袋がたくさんあるはず。
「何とかやってみやしょう」必ず護美袋を探す決意を胸に、吾輩は飛び立った。